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江戸の見世物絵を読む

川添裕


この原稿は、川添が1996年3月に行った講演の要旨を『版画藝術 』編集部が元原稿としてまとめ、川添が手を入れたうえで同誌92号(1996年6月)に「版画研究最前線2」として掲載されたものです。協同作業を行なった同誌編集部の辺見海さんに感謝します。要旨としてのかたちはそのまま残し、若干の改訂を加えてinternet versionとします。以下、本文。

PDFのマーク この記事には読みやすいPDF版も用意してあります(PDFについてのヘルプ)。


 見世物や大道芸などの興行の様子を描いた浮世絵のことを「見世物絵」といいます。この言葉は明治四十五年に宮武外骨が雑誌『此花』で用いたのが早い例で、以降、見世物研究の始祖である朝倉無声らも用いて、浮世絵雑誌や事典などで定着していきました。

 両国の夕涼みを描いた浮世絵には必ず見世物小屋が登場するように、見世物は江戸時代によく親しまれた娯楽のひとつでした。見世物絵からは、細かい演目の内容などの興行の様子を知ることができます。

 見世物は、朝倉無声によると、軽業、曲独楽、足芸・曲持、曲馬、手品などを含む「曲芸」、神仏や動物を細工でつくる「細工見世物」、「動物見世物」の三つに大きく分類できます。

曲芸

 日本の曲芸のレベルは世界的にみてきわめて高い水準にありました。幕末期には軽業師の早竹虎吉が、アメリカに渡って興行を行ない評判になっています。


図1

 図1に描かれているのは、幕末の安政四年(一八五七)に、両国で行なわれた早竹虎吉一座の興行です。この演目は歌舞伎や能でも演じられる「石橋」を曲芸化したものです。「石橋」のように広く知られた趣向を曲芸化することや、誰もが知っている物語を曲芸化することがよく行なわれました。単にアクロバティックな身体運動だけを見せるのではなく、物語や伝説を下敷きにするところが日本の曲芸の特徴といえます。その運動がどのような文脈に置かれるかということが、観客にとっての大きな魅力の一つだったのでしょう。

細工見世物

 細工の見世物はあまり現代に伝わっていないため、過小評価されがちです。しかし、幕末期の興行件数では、細工の見世物が一番多く、人気を博しました。

 文政期に細工見世物ブームのきっかけをつくったのは、浪花細工人一田庄七郎の籠細工でした。図2は、籠で作られた、「三国志」の英雄にして後世には財神ともされた関羽です。


図2

 籠、貝、瀬戸物、麦藁、糸、昆布、箒など様々なものを素材とし、神仏から伝説上の人物、鳥獣草木までを作った細工見世物は、素材と、作られたものとの落差を楽しむ見世物だったといえます。この図からは、ありがたい英雄・神様を、中空の籠でつくるという一種のおかしみが感じられます。

 天保の時代くらいから、細工見世物にからくり仕掛が多用されるようになります。天保の改革の影響で、天保の末には大造りの見世物に対する禁令が出るのですが、そのために差し止めになった興行も、見世物絵には描かれていることがあります。このことから、見世物絵は興行前に作られて、街中で売られたり配られたりしたことがわかります。 細工見世物は、「生人形」というもう一つの形態に展開していきます。これは、生きているかのようなリアリズムを追求した人形です。しかし「生人形」は、常に実際にあるものを模しているわけではなく、想像上の奇妙な異国の人間が作られたりもしました。そこには、開国への圧力が庶民レベルで受け取られたときの異国イメージが形象化されていたのかもしれません。

動物見世物

 江戸時代には、ゾウ、ヤマアラシ、ヒクイドリ、ラクダ、ロバ、ヒョウなどが渡来し、見世物になりました。

 注目すべきことは、動物の見世物を見ることによって、開帳の神仏を拝むのとおなじように、厄払いになるとか、疱瘡や疫病などの悪病がさけられると考えられていたことです。動物見世物を描いた錦絵や引札に記される文言は、一様に珍しい動物を「見る」ことで得られる「ご利益」をうたっています。この「ご利益」への期待から、動物の尿や糞が薬として売られたこともあったようです。図3の歌川国安が描く「駱駝之図」には、ラクダの尿を薬にすると、瀕死の病気から人を救う霊薬になるなど、さまざまなご利益が記されています。海のむこうからやってきた動物は神仏にも等しく、霊験あらたかなものだとする信仰が、江戸時代のフォークロアとしてあったことがわかります。


図3

 ところで「駱駝之図」で、ラクダを連れた男たちは異国風の服装をしています。このような服装を唐人風俗といいます。「唐人」とは、文字通りには中国の唐に原義がありますが、近世においては抽象的に中国人、または朝鮮人、さらには外国人すべてを指しても用いられました。しかし、この唐人の格好で異国の楽器を持つ男たちは日本人です。こんな格好をしているのは、海外から渡来したラクダというイメージに服装をあわせているのと、唐人趣味が文政のこの時期に非常に流行っていたためです。見世物絵に登場する海外から来た動物たちは、しばしば舶来趣味、唐人趣味に彩られ、「西方の霊獣」や「天竺舶来の霊獣」といううたい文句がつけられました。一方、弁天、大黒、和合神など民間信仰の神様と動物が同時に描かれることもあり、舶来のものと民間信仰の不思議な形での折衷も見て取れます(注)。

 

  

(注)
こうした動物見世物のフォークロアに関しては、川添の以下の論を参照。

なお、黒田日出男氏は「関係の中の変身」(『第7回歴博フォーラム 変身する』1991)で、大道飴売や薬売の唐人をはじめとする「異人」姿に逸早く注目したのち、「見世物と開帳」(『歴史を読み直す17 行列と見世物』朝日新聞社、1994)では、川添の2の文献を一部引用したうえで、独自の優れた論を展開されており刺激的である。

また、川添の2の文献を引用する、横田則子「近世都市社会と障害者−見世物をめぐって」(『身分的周縁』部落問題研究所、1994)は、障害者見世物における同様なフォークロアについてふれ、同じく2の文献に言及する、香川雅信「疱瘡神祭りと玩具」(『日本学報』15、大阪大学文学部、1996)は、民間信仰全体の視点からこのフォークロアにふれており、こうした連関する、それぞれ独自の視点からの優れた論考が現れていることは、なかなか興味深い。

1996年3月におこなった本講演は、以降の自分なりの展開を踏まえ語ったものである。なお、本講演の英語梗概An Insight into Misemono-e in the Late Edo Period: Prints on Animal Showsも、1996年10月にThe Association for the Study of Prints(版画研究会)によりNEWSLETTER Vol.7, no.1のかたちで出版されており、これはまた少し異なるまとめ方になっている。

 

(図1)
「早竹虎吉の軽業」安政4年(1857)
歌川芳晴 大判錦絵

(図2)
「一田庄七郎の籠細工」文政2年(1819)
歌川国貞 大判錦絵

(図3)
「駱駝之図」文政7年(1824)
歌川国安 大判2枚続

 


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