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見世物は何処へいく internet version

川添裕


この文章は初め、『産経新聞』夕刊(大阪本社版、1999年1月14日)に掲載されたものです。大幅に改訂を加えinternet versionとします。以下、本文。


 いま、日本にある「見世物小屋」がたった2軒になってしまったという。人間ポンプの安田里美氏が最後まで舞台に立ち続けて亡くなったのが1995年、先の日本仮設興行協同組合理事長で実力者だった吉本力氏が亡くなったのが92年、木下サーカスの木下光宣氏が亡くなったのが91年と、見世物とサーカスの世界では寂しいことの多い90年代だった。

 しかし、統計的にさかのぼると、「見世物小屋」が1958年に41軒だったのに対し、1971年が16軒、1986年が7軒だから、何も衰退は最近の現象ではない。これは興行現場の努力といった事柄とは、明らかに別の問題で、大きな流れとしての見世物の凋落は、明治の「近代化」とともに始まっている。そしてすでに明治末期から、過去の見世物を懐かしむ声はあがっていた。そんななか、宮武外骨や朝倉無声らの先覚者たちにより、江戸時代を対象とする見世物の研究がおこるのである。その意味で、この問題を考える原点は、見世物が最も豊かに開花していた江戸時代にあるといえる。

江戸時代の豊かさ

 近世後期の見世物は、江戸なら浅草と両国、大坂なら難波新地、名古屋なら大須を筆頭に、都市の盛り場はもちろん、地方の祭礼でも興行された、最もよく親しまれ大衆娯楽のひとつだった。見世物の種類は、軽業・曲独楽・曲馬などの「曲芸」、籠細工・からくり・生人形などの「細工見世物」、駱駝・象・虎などの「動物見世物」に三大別され、決してグロテスクでいかがわしいばかりが見世物ではなかった。なお、生人形とは、まるで生きているような質感の等身大の人形で、幕末から明治に盛んにおこなわれた興行である。

 見世物の興行は、当然のように、当時のメディアである浮世絵や引札に数多く描かれている。筆者は、昨1998年11月21日に開催された国際浮世絵学会の創立大会で、こうした「見世物絵」に関する研究発表をおこなった(対象総数は485点)。それに基づくと、例えば安政3年(1856)浅草での松本喜三郎による生人形興行では、興行と相前後して数十枚の錦絵が出版されており、見世物と出版とが密接に絡み合う流行現象が指摘できる。つまり見世物は、一種、今日の芸能ジャーナリズムにも通じるような、世間の話題となっていたのである。

見世物文化の展開

 それでは、明治以降の「近代化」のなかで、見世物はどこにいってしまったのだろうか。そこに衰退がおこったのは間違いないが、それだけではないことにも、注目しておきたい。

 まず、生人形の場合なら、医学人体模型や彫刻とも関わりつつ、マネキンを中心とするディスプレイ文化と、芸術の世界に展開拡散していったことが知られている。動物見世物の場合、一方で動物園に吸収されるとともに(かつてのパンダブームは明らかに動物見世物だ)、他方ではペット文化(とくに変わりだねペット)のなかに変形して発展していった。曲芸、曲馬などは、海外との相互交流のなかで展開吸収された部分が大きい。来日した欧米サーカスと日本曲芸との混淆はもちろんのこと、幕末から明治には、多くの日本の曲芸師が海を越えている。幕末の人気軽業師であった早竹虎吉も、慶応3年(1867)にアメリカへ渡り、サンフランシスコほか各地で興行して人気をよび、ニューヨークで亡くなっている。外国サーカスには、日本の曲芸が起源といわれる技が伝わっており、そこでは曲芸のグローバル化がおこっていたのである。さらに、今日の寄席の色物や歌舞伎のケレンには、濃厚に見世物性をみてとることができるし、映画にしても、実は近代が産んだ「視覚の見世物」であったといってよい。

 「因果物」こそが見世物の真髄といった神話は、むしろ明治以降の「近代化」の過程で形成されたものであり、実際には、そこでとり残されたものが狭義の「グロテスク系見世物」であったという事情は、押さえておかなくてはならない。この種の見世物の歴史は古く、連綿とおこなわれてはいるものの、江戸時代でいえばその比率は数パーセントというのが、厳然たる歴史的事実である。ところが、現代を生きる人々が「グロテスク系見世物」以外目にしたことがないがゆえに、見世物を擁護する側も含めて、この自縄自縛の思いこみと紋切り型を再生産してきた感が強い。じつはその狭さこそが、見世物を衰退させたのだという点に、そろそろ気づく必要がある。

 筆者自身、グロテスクなもの、いかがわしいものは、大好きな人間である。しかし、そこでのグロテスク、いかがわしさとは、狭義の「グロテスク系見世物」のみに収斂されるのではなく、もっとずっとエネルギッシュで広範なものを考えている。こうした視野狭窄からはじまる議論では、わずかに表層を予定調和的になでるだけで、そもそも狭義の「グロテスク系見世物」にすら、じつは、ほとんど向き合っていないと思えるのである。

 こうしてみると、見世物の行方を語る際に欠かせぬ視点は、今日の衰退した「見世物小屋」だけでなく(むろん、それも絶対に見る必要があるが)、江戸時代の見世物とその拡散発展形態、さらには文化の見世物性、見世物文化に着目することであり、また、民俗的な視点、汎世界的な視点を持つことであろう。後者では、現在、中国の雑技が日本の曲芸とは対照的な隆盛を誇っており、世界に人材を輩出している。これなど日本との交流も盛んなだけに、注目すべき存在といえる。

原点としての身体性・物質性

 しかし、こうして展開拡散した見世物文化のなかに、過去の遺産がすべて盛り込まれたかといえば、むろんそうではない。とくに、驚異の身体との出会い、珍しいものを見る、非日常の場に居合わせるといった身体性と物質性(ある意味ではきわめて原初的な感覚の悦び)が全体として衰微したことは、やはり指摘しておかなければならない。時代はますますヴァーチャルリアリティの世のなかである。だからこそ逆に、そこに身体性と物質性をぶつけてみたい、それが筆者の、見世物をめぐるもうひとつの思いでもある。

 単なるノスタルジーでも、ゲテモノ趣味でもなく、江戸時代の豊かな見世物と、「近代化」の拡散展開を同時に読み解きながら、まず、見世物のいくつかの本性を見究めてみる。21世紀の見世物復権への道は、恐らく、そこから始まるのである。

 


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